打撃投手

打撃投手の意義

専門職としての打撃投手の元祖は佐藤玖光(広島)で、佐藤は1975年から1998年まで打撃投手として広島と契約、1995年にはセ・リーグから特別表彰も受けている。プロ野球において、打撃練習のための球を投げる専門の職種としての打撃投手が存在するのは、現役投手の腕が酷使によって負傷するのを防ぐため、またピッチングマシンでは不可能なより実践的な練習を行うためである。また新人選手でも、特にドラフト下位あるいはドラフト外で入団した選手を実質上打撃投手扱いする場合がある。打撃投手は投球以外でも裏方として様々な仕事を行う。

 

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打たれない投球から打たれる投球へ、打球の飛ぶ先を確認しない、肩を作るウォームアップ時間の短さ等々、現役とは全く異なる環境に置かれる。それ以前は引退した人の場合は、西村省一郎(南海)の様に、マネージャー・スコアラー等他の業務を兼ねる場合が多かった。また、西武の打撃投手は、01番や02番といった10の位が0番台の2桁の背番号を着用している(00番を除く)。尚、日本ハムでは打撃投手は2006年までは全員2桁の背番号であったが、2007年より打撃投手の背番号を廃止している。

 

背番号は3桁(100番台)であることが多いが、2桁(80番台・90番台が多い)も存在する。そういった選手の中からエースとして大成した西本聖のような例もある。また、打撃投手からこの中で実力を見込まれ、選手として復帰する者も若干ながら存在する。だが、この世界にも生き残れる者は少ない。

 

ドラフト制度導入前に打撃投手からチームの大黒柱へと成長した例としては稲尾和久や小山正明が有名である。打撃投手は主に現役を退いた投手が務める。中には水谷宏のように還暦を過ぎるまで勤めた人もいる。現中日の打撃投手・西清孝(但し横浜時代の1994年は選手兼任、翌年正式に現役復帰)や現在松下電器に在籍している栗山聡が代表的な例。

 

 

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