世界最速のピッチャーは?

世界最速のピッチャー

故藤本定義(元ジャイアンツ−スターズ−ユニオンズ−タイガース監督)、故三原脩(元ジャイアンツ二塁手、元ジャイアンツ−ライオンズ−ホエールズ−バファローズ−アトムズ監督、元ファイターズ球団社長)、故青田昇(元ブレーブス−ジャイアンツ−ホエールズ外野手)、故別所毅彦(元ホークス−ジャイアンツ投手)ら、沢村の投球を目の当たりにしたことのある諸氏は、金田正一(元スワローズ−ジャイアンツ)、尾崎行雄(元フライヤーズ)、江夏豊(元タイガース−ホークス−カープ−ファイターズ−ライオンズ)、江川卓(元ジャイアンツ)といった戦後の速球投手と沢村を比較して、「問題にならない」「沢村の前に沢村なく、沢村の後に沢村なし」「沢村は10km違う(160km)」と口をそろえて力説していた。

 

足を高々と上げたフォーム、鉄砲玉と比較された豪速球と、「懸河のドロップ」「三段ドロップ」といわれた、落ちるカーブで、大リーグ選抜チームを手玉に取った、静岡草薙球場での快投は、既に神話化されている。

 

沢村英治といえば戦前の職業野球を代表する大投手である。

 

175cm、71kgの沢村が150km台の球を放っていたとはどうしても考えられない。

 

「記録の神様」宇佐美徹也氏は、「昔は130km台が普通で、沢村がそれより10km速い140km台を記録しても当時の選手達にはかなり速く感じたにちがいない。」という趣旨の発言をしている。

 

その一方で、こうした見方に疑問を呈する向きもある。

 

また、模擬ドラフトで有名な小関順二氏も、アメリカのドキュメンタリー番組『Baseball』で見た沢村のピッチングフォームの感想として、「あのフォームで150kmを出したとはとうてい思えない。

 

大リーグのその当時の野球のレベルとも併せて考えなければならない話しだが、沢村とほぼ同世代の米国の速球王ボブ・フェラー(インディアンズ)は、17歳で大リーグデビューするや、当時のアメリカンリーグ記録である17奪三振を記録している。吉目木春彦氏が指摘するように(『魔球の伝説』)沢村の速球が大リーグ選抜には草薙球場以外では通用せず、前後の試合では10点以上取られるめった打ちをくらっていることも気になるところだ。

 

しかし、現代のスピードガンとメカニズム的に最も似ていると思われる米軍の弾丸速度測定器で測った球速は159kmであり、この前後が実速に近いような気がする。沢村もフェラーも、コントロールや投球術よりもスピードと勢いで同じ「スクールボーイ」として大リーガーの前に立ちはだかったのだが、次々と大記録を打ち立てて行ったフェラーと、米国遠征で3Aのサンフランシスコ・シールズといい勝負をしていた沢村が、同程度のスピードの持ち主だったとは思えないのである。

 

フェラーについてはいまだに大リーグ史上最速投手であると考える人が大勢いて、その球速を科学的に測ろうとした試みが数多く残されている。その記録は最高170kmに達し、「現代の投手の速球は私のチェンジアップだ」というフェラーの発言は昔の野球ファンの私には心強い限りである。

 

フェラーに言わせれば、「沢村の速球は俺のチェンジアップだ」といったところだろうか。

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